2013年2月24日日曜日

自衛官と年金と


大事なlogとして、まず私を振り返ってみる。

家族構成
父親、母親、私の3人構成。
父は小さい溶接工場で勤務、母はパートなど。
けっして裕福ではないがとくに不自由なく過ごしてきた。
高校も地元の公立高校に進学。地元なので電車通学の経験も無い。
交通費はかかってない。虫歯もなかった。
生まれて幼少期から小学校高学年あたりまでアパート暮らしだった。
その後は近くの祖父が死んで、その実家に越した。
おそらく両親の稼ぎは想像出来るが大したことはない。
両親は苦労したと思うが、私自身は特になにも苦労をしたことがない。
ましてや一人っ子なので、自称ボンボンである。

高校を卒業したと同時に大きな組織に就職した。
高校は普通科の進学クラスに席を置いていたが、大学というところに魅力を感じなかった。
少々ずれている息子に「行くなら国立とか、お金がかかんないとこね。」と母親は言っていた。
確かに都会の私立大学などに進学したらと考えると出来なかった。
おそらく4年間この両親は味噌汁と煮干しでご飯を食べることになるだろう。
大学に魅力を感じないということと、他にもそういう理由もあった。

就職した大きな組織とは、親方日の丸で身分は特別国家公務員。
会社ではない。陸上自衛隊だ。
陸上自衛隊に魅力を感じたわけではない。裸で就職出来るのだ。
裸一貫。響きが良い。
まず完全寮なので(寮というより隊舎)家賃などがかからない。
賃貸の初期費用がなしだ。
あとスーツなどを一切準備しなくてよかった。
実際に入隊したときは下着とジャージくらい。私服はジーパンのみ。
スポーツバック一つでOKだった。

田舎はコネクションの世界。
高校を卒業し、進学せずに働くものは家業をつぐか縁故で地元の会社に就職。
普通科なので専門知識は一切ない。コネクションもない。
それと地元は必ず出てやろうと思っていた。

この条件に陸上自衛隊はぴったり合っていた。
そして比較的簡単な試験をうけ無事に卒業後の入隊は決まった。


もともと生涯の仕事として選んだ訳ではなかった。
任期制度があり、2年、4年で60万や120万という退職金がもらえたのだ。
これも目当ての一つだった。

当時はまだ18歳、将来のことなんて希望しか無い。
当時給料は15万くらいだったかな。
もちろん貯金などしていなかった。
もらったものはすべて数少ない外出時に夜の街に消えていった。
後悔してもしょうがない。その分いい思いをした。

この時22歳まで自衛隊で勤務していた。
年金は20歳から加入することになっている。
と言うことは2年間年金を納めていたということか。
これはしらべてみようと思う。

ちなみに当時は虫歯はなかった。

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